RICOH GRⅢx

タイヤの空気圧をチェックして、朝7時前にスタート。ろくにタイヤの空気圧管理もしないで「縦溝舗装がぁ~」とか「グリップがぁ~」とか「サスペンションがぁ~」と語っている人を眺めてせせら笑うの、好きです。
本日は、国道19号を素直に走って木曽福島方面へと向かいます。早朝スタートで愛知県内の通勤タイムは外すことができましたが、途中、瑞浪~中津川間でノロノロ数珠繋ぎを喰らいました。ちょっと寒いので、賤母の道の駅で休憩。大勢のツバメたちがブンブン(ヒュンヒュン?)飛び回っています。一生懸命に子育て中です。いいねぇ~。「オハヨー!!」

寝覚ノ床を過ぎたら、交機隊の分駐前でちょうど移動式オービスをセットしているところでした。別の場所では白バイがクルマを停めています。ここの交機は夜明けとともにモーニング白バイでビビらせてくれたりするので要注意です。帰り道、今度は桟トンネルの手前で大々的に速度の取締り。大型トラック同士のデカい事故があったからか、国道19号、いつになく取締りが厳しいです。よくトイレに貼ってある過去事故マップによれば、木曽福島の管内発生人身事故の9割は国道19号。「こんな幹線道路さえ無ければ…」といったところでしょう。その他、開田高原周辺の峠道で発生している人身事故は…どうせ二輪の自爆事故なんでしょうね。これもまた「来んな、おめぇーら!!」と思われていることでしょう。
国道361号から開田高原に向かいましたが、ここで昔眺めた滝のことを思い出しましたので、まだ営業開始前の『二本木の湯』前を素通りして地蔵峠へ。

『唐沢の滝』に到着。広い駐車スペースにWを停め、(熊、出ないでよ)と心の中で呟きながら山の中へと入ります。滝壺まではさほど距離もなく近いのですが、誰もいないのであまりにも静か過ぎて不安になります。

落差は約100m。大昔の飛騨街道は、この滝を巻くようにして山の上に向かって通っていたそうです。川沿いの苔むした遊歩道を登りながら、単車でラクな旅ができる幸せを噛みしめちゃいました。


飛沫がかかる滝の直近まで行けるので、なかなか見応えがあります。今の季節は水量も豊富で、澄んだ青空に新緑と滝の上流部のスプラッシュが映えていました。
さて、この旧道。1950年代の国道361号です。開田村当時は木曽福島へと走る唯一の生活道路だったのでしょうが、しばらく見ぬ間に道がますます荒れていました。1980年代に新地蔵トンネルの完成とともに通年走行可能を実現した361号バイパスによって、この旧道はすっかり忘れ去られてしまいました。国道361号と言えば、地蔵峠とまったく同じ運命を辿ったのが権兵衛峠ですね。伊那路と木曽路をストレートに繋ぐあの権兵衛トンネルの完成は、本当にみんなが待ち望んだ画期的な事業でしたし、以来、私も大いに活用させてもらっています。でも、あれほど楽しませてくれた権兵衛峠とは、その後すっかり疎遠になってしまって。(あの旧道は今どうなっているのかな?)と、ときどき峠の景色を思い出しています。そうとう荒れ果てているでしょうが、今でもあの峠道って通れるのかな。「ちょっと行っとく!?」宿題としておきます。


標高1,335mの地蔵峠。気温は14℃でちょっとだけ寒いです。革ジャンの下に着込んだインナーがなかなか脱げません。峠ではお地蔵さまと『これより開田高原』の石碑が出迎えてくれます。あと、出迎えてくれたのは猿の群れ。熊の群れじゃないからいいけど。北海道では熊だけではなく、野犬の群れにも家畜が襲われているらしいですね。この国、どんどん野生の王国に近づいていると感じます。そのうち人間が檻の中から野生動物を眺めるような『逆動物園』『サファリパーク都市』になるんじゃないでしょうか?
走りながら、ちょっと想像(妄想)してみたんです。こういう道標とか石碑が、将来どんな存在になるかって。最近すっかり聞かなくなりました、【限界集落】という言葉。もはや、【限界都道府県】の域に達しつつありますからね。200年後は現在の人口の9割が消滅していると予測されていますから、その頃この国には今の東京都の人口とほぼ同じ人数の国民しか残っていないわけです。きっと熊や猪、猿や鹿の数のほうが多くなっていることでしょう。人間は、熊や猿から都市や田畑を防御する城壁を張り巡らせた東京23区エリアと大阪市中心部だけに集まって暮らし、この閉ざされたふたつの都市間は、誰も乗っていない廃線寸前のリニア新幹線が往復しています。時には猿や熊がリニア車内に侵入してニュースに。そして、少人数のためには生活インフラを負担できないからと強制的に無人化された国内各地では、80代くらいの志願自衛官が江戸時代の蝦夷地防衛のように熊と闘いながら単身で僻地防人勤務をしています。外国からの実効支配を防ぐための国土防衛です。その頃には道路も集落もすっかり朽ち果ててしまいますから、「こんなところにも人が暮らしていたんだね」と、襲ってくる野生動物を警戒しながら古い地図を片手に歩き回る武装した外国人探検家に、たとえば地蔵峠のお地蔵さまや石碑が発掘されて…。今後200年、富士山噴火や南海トラフ地震、戦争といった国難が奇跡的に発生しなかったとしても、この国は結局『猿の惑星』になるという妄想でした。

ヘルメットの中でそんな妄想をしているうちにクネクネと近づいた九蔵峠方面は相変わらず通行止めのままでしたので、迂回して国道361号に戻り、標高1,370mの長峰峠へと抜けました。ここからは、岐阜県になったり、また長野県になったりを繰り返すエリアです。地蔵峠でタッキーしたあとは、「あぁ~野麦峠」に向って走ります。