雨の大湫宿
RICOH GRⅢx
歴史の教科書にも載っていたと思いますが、『和宮降嫁』で知られる和宮親子内親王が、幕末に京を出発し、江戸で待つ徳川家茂の元へと向かう道中、総勢3万名、50Kmもの行列をもって旅したのが中山道です。そんな旅の途上の宿泊地となったのが、大湫宿。あいにくの雨模様でしたが、あの閑静な宿場町ならそんな雨も似合うに違いないと、GR持参で出かけてみました。大正村で発生したGRの不具合もその後は再発せず、今回も快調に稼働してくれています。あの不具合は、いったいナンだったんだろう??
この大杉が倒れたときには、テレビ局も報じていました。こうして保存された根本部分を見るだけでも、その巨大さが伝わってきます。
十三峠にも向かってみたのですがかなりの細道で、どうやらクルマでの走行はムリみたい。
『和宮降嫁』。このこじんまりとした大湫宿を見れば、前後の宿場にまたがった、若しくは、それ以上の規模で街道筋を埋め尽くした団体宿泊だったのでしょうが、それにしても総勢3万名で徒歩旅って、さぞかし壮観だったでしょうね。皇女和宮がこの宿場で詠んだとされる歌も残されていて、江戸に行くなんて嫌だったみたい。そりぁそうだ。
巨大な岩がふたつ並ぶ『二つ岩』を通過して、琵琶峠のある細久手宿方面へと走ります。
途中、茶屋の跡地だとか、観音さまやお地蔵さんとか、街道沿いには当時の旅人が手を合わせたり休憩したりといった様子を偲ぶポイントが多く残っています。
琵琶峠へと登る街道。しとしと降る霧雨と、白く霞む霧と、苔むした石畳が幻想的でしたが、あまりにも静かすぎて、霧の中から熊が出てこないかと怖かったです。
ほぼ昔のままの姿を保った一里塚が、山の中で細い道を挟むように現れます。晴れていると気にもかけない風景でしたが、雨の中でクッキリと浮かび上がっていました。
昔の旅人もきっと休憩したに違いない、弁財天の池。大湫宿と細久手宿の中間地点です。中山道を旅する人たちの間でも知られた場所だったとか。真ん中の島に石祠(せきし)が建てられています。
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