大晦日
仕事帰りで全くそんな気分じゃない大晦日。
来年がいい年でありますように。
2021年も、東北を旅しようと思います。
皆さんもどうぞいい旅を。
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リチャード・ロイド・パリー著『津波の霊たち 3.11 死と生の物語』。長い時間をかけ、読み終えることができました。重く、辛く、読み進めるのに約一か月を要しました。私は大川小学校を3度訪れていますが、今夏の訪問では震災遺構として生まれ変わりつつある小学校跡地の工事の様子を目の当たりにしています。次に訪れるとき、私は今も行方不明の児童を必死に捜索している遺族がそこにいること、震災遺構として残すことについての遺族のみなさんのさまざまな思いがあることを教えてくれたこの本に、きっと感謝することでしょう。
22都道府県約8千校が被災した東日本大震災。あのとき、唯一、安全なはずの学校で亡くなった宮城県石巻市立大川小学校の児童74人のうち23人の遺族が起こした訴訟は、昨年(2019年)、一審二審を経て最高裁の場で宮城県と石巻市の上告が退けられたことにより遺族側の勝訴が確定したとの報道がなされていましたが、本書では、一審判決に至るまでの大川小学校を巡る様々な人たちの物語が、被災当日の詳細な描写とともに記録されています。そして、何度も現地に赴き、住民から聞き取り、こうして記録に残した著者が日本人ではなく在日のイギリス人ジャーナリストであることが、この本を読む日本人にも言い訳を許さず、「がんばろう東北」という言葉の残酷さ、大川小学校訴訟の原告遺族が74人ではなく23人であった理由、なぜ訴訟を起こさねばならなかったのか、そしてまた、霊という存在を通じて死者や生き残ってしまったと感じて自身の心を今も苛む人々の苦しみを、外国人の感性で我々日本人と日本の風土風習に語りかけてきます。
「津波は水ではなく、凶器です。最初に海風を遮る松林が呑み込まれ、木は流され、その木が家を壊し、その瓦礫が人間に襲いかかってきます。それから、すべてがなくなる。津波は水ではありません」。
空白の51分。そのとき校庭で何が起きていたのか。生き残った児童は語り部として、生き延びた教師は二度と公の場で真実を語ることなく、これからも生きていくのでしょう。遺族が本当に知りたかった「せめて市の広報車が津波襲来を叫びながら通過した時点でなぜ児童を裏山に避難させなかったのか」という疑問には、ついに答えるべき大人が答えぬまま終わり、裁判でも明らかにされることはありませんでした。2018年当時、上告した県や市や議員たちを「恥の上塗りだ」と切り捨てた著者は今なにを想うのか、日本人の感性を身につけたイギリス人ジャーナリストとして、10年の節目にもう一度続編で私たちに感じたままを読ませて欲しいものです。
本書は2021年1月21日に文庫化され、ハヤカワ文庫から発売予定です。Amazonでも書店でも予約受付中です。まだ読まれていない多くのみなさんに、ぜひともこの本を読んで欲しいと思っています。読んでから東北の被災地を訪れてほしいと願っています。
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Canon EF-M 22mm F2 STM
郡上八幡。コロナ再流行報道の影響か、週末にもかかわらず観光客の姿はまばらでした。個人的『この季節の郡上八幡』は、地元民が掘ってきたものを仕入れている自然薯の蕎麦目当てです。昔ながらの、丼物や中華そばなどの定番メニューもオススメな、なんだかとっても落ち着くお店でいただきます。これまた大好きないつもの堅焼きそばのお店とどちらを選ぶか悩ましいところですけどね。デッシーを連れて行きましたが、「ここの自然薯そば、今回でもう3回目です」と。そんなに連れて来てたっけ??
いつもは地元のお客さんで賑わう店内も、なんだか閑散としておりました。いつも気さくに店内でお客さんに話しかけているご主人の姿が見えなかったので厨房から顔を出した息子さんとおぼしき方にお訊ねしたところ、「父は身体を壊しまして」とのこと。堅焼きそばのお店といい、こちらのお店といい、郡上八幡の老舗も先代からこどもさんの代へと受け継がれていく真っ最中です。そして自然薯をすりおろす音が厨房から聴こえてくるシンプルな芋かけそば。今日もとっても美味でした。ぜひ一度。
閑散としている郡上八幡をWの得意なアイドリングトコトコしてから、国道156号を南下して国道256号へ。噂の『モネの池』に立ち寄ってみました。
駐車場から歩いてすぐのところにある湧き水の溜め池で、様々な県ナンバーのクルマや観光バスが停まっていました。思ったよりこじんまりとした池で、(ふーん…)と。デッシーは写真も撮らず「もうイイっす」と。うん、もう行かなくていいな。
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私にとっての贅沢な旅はGo Toで有名な高級旅館に泊まることでも、豪華なクルーズ船に乗ることでもなく、『気持ちのいい季節にお気に入りの温泉宿に連泊し、お気に入りの日本酒を少し呑みながらただひたすらまったりと過ごすこと』です。
これがなかなかに難しく、まずはお気に入りの宿を見つけなくてはなりません。のんびりと浸かれる熱すぎない源泉かけ流しの温泉があって、胃もたれするくらい贅を尽くしたものではなくその土地の美味しい料理を食べることができ、さらには一日中ほったらかしにしておいてくれる宿が必要です。次に、できれば空調に頼らずとも暑くもなく寒すぎず逗留できる、そんなタイミングを知らなくてはなりませんが体感気温は人それぞれです、これまた実際に季節を変えつつ幾度となくその宿に泊まってみなければわからないわけです。
そんな宿を見つけることができれば、あとはお気に入りの地酒を抱えて転がり込むだけですが、ここで登場するのが一升瓶ではいけません。単なる呑兵衛のオヤジがだらしなく浴衣をはだけてコップ酒でグタグタしている図になってしまいます。幸いにも私は四合瓶が一本あれば数日もちますから、持参したお猪口でほろ酔い加減をキープしつつ、うたた寝から目覚めたらまたタオル片手に風呂に向かうわけです。そんなことを繰り返しますから、持参した文庫本も最後まで読むことは叶わずお持ち帰りです。
そして連泊の朝。なにが嬉しいって、時計を気にせずそのまま宿に留まれる気楽さです。朝食後に慌てて荷造りする必要もなく、ヘルメットとグローブだけの身軽さで打ち水に濡れた玄関を出て半日ほど走りに行ってもいいし、下駄を借りて近所をブラブラと散歩してもいいし、どこにも行かず宿で一日中誰もいない風呂に浸かっていてもいいのです。宿も宿泊客が立ち去ったあとはとても静かで、夕方に迎える今宵の宿泊客のための準備を終えればのんびりとした空気に包まれますから、そんな中で川のせせらぎや虫の声を聴きながら過ごす一日なり半日というのは、このうえなく贅沢に感じます。ただ困るのは、お気に入りの宿が増えるにつれ、そんな贅沢な時間をどこのお宿で過ごそうかと迷ってしまうことでしょうか。これまたなんとも贅沢なことです。コロナ禍にあってこれからの時代に合った新しい旅のスタイルを、と言われていますが大昔からありますよね、ひとり旅って。
そして、そんな私にとって最上級の贅沢とは、その宿が東北にあり、その地酒が東北の一本であることなのです。
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