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2025年3月

岩村城

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標高717m、高低差は180m。日本三大山城のひとつに数えられる岩村城の別名は、霧ヶ城。ツーリング中の通りすがりにいつも眺めていたのは『女城主』の幟旗でしたが、天守もないらしいし、(女の城主?なんぢゃ、そりぁ??)と興味もそそられず、なので今回が初登城です。ちなみに女城主の逸話を調べてみたら、武田織田に挟まれてしまった山城の悲哀と逆さ磔という無残な最期でした。ついでに、あの森 蘭丸が、鬼武蔵と呼ばれ小牧・長久手の戦いで戦死した森 長可(もり ながよし)の弟だということを、今回のお勉強中に初めて知りました。


太鼓櫓と三重櫓跡

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藩主の御殿があったとされる現・歴史資料館駐車場の立派な太鼓櫓と、畳橋が架けられていた三重櫓用に高く積まれた石垣。この三重櫓が、岩村城における実質的な天守だったそうです。


石 畳

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大手道藤坂から始まり、本丸までずっと急な坂道が続きます。斜めに敷かれていてとても登りにくく滑りやすい石畳を、息が切れる思いで休み休み登りましたが、国土交通省のサイトにあるPDF資料によれば、この石畳は昭和59年頃に復元されたものです。


石垣の見本市

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野面積から切込接まで、時代ごとの異なる積み方が見られる石垣。水を含んでいるのか、内側の土が凍結したせいなのか、膨らんで崩落しそうな箇所もありました。反りの上端が、通常武者返しと呼ばれる垂直よりも、さらに反り返っているのが岩村城の特徴です。山城ならではの鈍角(しのぎかく)も、石垣の上に乗って足元で確かめることができます。


土岐門

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土岐門(ときもん)の名の由来には諸説あるようですが、ここに設置されていた城門自体は、地元の徳祥寺山門として今も現存しているらしいので、ぜひ戻してほしいですね。門の内側に進むと、180度ターンのコンパクトな曲輪(くるわ)。ここから本丸まではほんの300mほどらしいのですが、とにかくしんどいです。すでにここまででも息が切れてゼェーゼェーしています。


八幡曲輪と霧ヶ井戸

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曲輪(くるわ)の高台にある八幡神社は、跡地のみ。霧ヶ井戸は「敵襲の際、秘蔵の蛇の骨をこの井戸に投げ込むと深い霧がたちどころに山城を覆った」という伝説の井戸。実際、岩村城ゆかりのどこぞで大切に保管されていた蛇の骨が発見されたのだとか。ところで岐阜名水50選認定とありますが、コレ、飲めますかね?


本丸の六段壁

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岩村城の逸話として有名なのが女城主だとしたら、岩村城ならではの特徴として有名なのが六段壁。山の上にある本丸石垣が崩れてくるので、その下部を支えの石垣で覆い始めたら、繰り返しているうちにとうとう六段にもなってしまった石垣です。この石垣の正面にあった月見櫓六段壁の間には渡り廊下が架けられていたそうなので、あえて大掛かりな補修をせず、ちょこちょこと手当てしていたのかもしれません。上から覗きこむと、犬走りにあたる部分がまるで山奥の急峻地にある棚田のようです。


埋 門

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三浦先生が「実に不思議だ」と解説されていた、岩村城埋門(うずみもん)二の丸から入り本丸に向かって何度も直角に折れ曲がる構造で、上部はが覆っていたらしく、しかもがその前後に四か所もあることから、「内部は暗渠のように真っ暗だったはずだがその理由はわからない」と。


本 丸

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苗木城ほどの眺望はありませんが、ここもなかなかの絶景です。本丸天守はなく、代わりにいくつかのが建てられていたようです。本丸にも、矢穴らしきものが残る大量の石垣。これだけの石を、いったいどこから運んできたのでしょうか。

そして、隅っこには昇竜の井戸。こんな場所で水が湧くの??と思いますが、まずはこの井戸を掘ってみてからの縄張だったと思われます。


帰りの石畳

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本丸から下る帰り道。滑りやすく傾斜のついた石畳のせいで、下りもしんどいです。腰と膝にきます。プチウォーキングのつもりだったのに、かなりの疲労度でした。資料館脇の道路をさらに奥へと進むと、本丸直近の出丸広場駐車場までクルマで行くことが可能ですから、「とにかく歩きたくない」という人はここを利用するのもアリかもしれません。

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名城の石垣図鑑

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3月22日付の中日新聞に、犬山の瑞泉寺へ移築されていた城門が420年ぶりに美濃金山城に戻されたという記事がありましたが、この記事のなかで広島大の三浦正幸教授が、「これは日本に現存する最古の城門だ」と太鼓判を押していました。さらに、同じ紙面に並んで掲載された記事で、静岡大の小和田哲男名誉教授が犬山で講演し、美濃金山城から犬山城への天守移築、いわゆる金山越しについて、「1537年の犬山城築城時にあの天守が建てられたというのは間違い。この頃にあのような高層建築は存在しない」からと、金山越し支持を表明したとありました。

実は春先くらいから、そろそろ本腰を入れて城めぐりをやってみようと真剣に猛勉強しているのですが、日本の城郭について解説するYouTubeや書籍でお世話になっているのが偶然にもこのおふたりでしたので、記事を見たときに「おぉ~!城の師匠の談話がふたり並んでる!!」と、なんだかうれしくなりました。『名城の石垣図鑑』は、その小和田先生の著書。とてもわかりやすく書かれていて、石垣についてきちんと学べます。廃城・取り壊し・空襲・火災などで現存しないことも多い天守や御殿、櫓などとは違い、昔のままの姿で保存されている石垣や土塁。地震で崩落した熊本城が、今後何十年かかってでも石垣を元通りに積み直すと頑張っているのもわかるような気がします。いろいろと知識を得たうえで改めて城跡をめぐってみると、とても面白いです。近ごろでは近所の公園の石垣にも目を奪われるようになってしまいました。

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2006年頃に購入した2枚組DVDも、久しぶりに引っ張り出して勉強しています。映像サイズとか画質とか、かなり古くさい感じは否めないのですが、ありがたいことに、火災で消失する前の首里城や地震で崩落する前の熊本城の姿が撮影されていますから、今となってはこれはこれで貴重な映像集なのでした。

学校の勉強はイヤイヤだったし、仕事の勉強もシブシブでしたが、趣味の勉強はウキウキですわ。誰でもそうでしょ??

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トム・ゴードンに恋した少女

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久々のスティーヴン・キング。これは2000年頃に書かれた作品で、実在する大リーガー、トム・ゴードンの大ファンである9歳の少女の物語です。とはいえ、現役リリーフピッチャーのゴードン選手との微笑ましい交流が描かれているわけではなく、ふたりの接点といえば、彼女が愛用するレッドソックスのキャップに記されたサインくらい。(いったいどんな話なんだろう…)と予備知識もないままに読み進めていくと、カナダとの国境にある深くて広大な森の中で、家族とはぐれて遭難した少女の過酷なサバイバル。腹を下してクソまみれになったり、蜂や虻に身体中をボコボコにされたり、これはもう、主人公が9歳の少女だから読み進めるけどさぁ~…となるわけで、おっさんが主役だったらとにかく汚い!汚い!ゲロとグロのキング節は、ここにも健在です。

各章が試合のように〈四回裏〉とか〈七回の休憩〉とかで刻まれていく意味はナニ?と思いながら読んでいましたが、〈九回裏リリーフエース登板〉でなるほどね、と。そしてエンディングの〈試合終了〉でバラバラだった家族もチーム一丸となり、とっておきの決めポーズに「ステキやん!」となるわけですが、しかしこんな強靭な9歳、いるかな??

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名古屋城 ②&中華そば 万楽

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空襲で天守ともども焼けてしまった徳川御三家・尾張藩主の住居兼政庁、名古屋城の本丸御殿。2018年、忠実復元で公開が始まりました。誤解されがちですが、例外を除いてお殿様が寝起きする場所は本丸や二の丸に築かれた御殿。天守は、いくさ櫓の発展形で戦闘用の建物です。でも、名古屋城の本丸御殿では実際に藩主が寝起きしていたのはほんのわずかな期間で、あとはもっぱら将軍が江戸からやって来た際のお泊り所として使われ、日頃は無人の建物を藩士が厳重警備&お掃除していたようです。

入り口手前で係員から見学の際の注意事項を聞き、並んでいた順にいざ入ってみると、「御殿は上を見よう!」ですね。欄間や飾り金具、天井絵に施された『豪勢な美』がスゴイ。この御殿の再建に携わった職人さんたちは、さぞかし楽しかったことでしょう。前回訪れた城が狭小な岩場の上の苗木城跡でした。同じ大名とはいえ、尾張徳川と美濃一万石の格の違いは圧倒的すぎます。「絢爛豪華」という言葉の意味を知ることのできる建物でした(苗木城も眺めは最高でしたけど)。全国的にも、本丸の御殿が現存もしくは再建されている城は数少なく貴重な存在。これで天守が木造復元だったらもう、無敵なのに…名古屋城ったら。

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テレビ等で御殿完成のニュースを観ていてもなかなか行く気にならなかったのですが、7年も経ってからようやく堪能しました。週末ともなれば今でも大行列でしょう。観覧料500円でこの御殿見学もできるのは、ちょいとサービスし過ぎではないかと。観覧料を2,000円くらいにして、問題となっている天守復元用木材の保管料の足しにでもすればいいのに…と思いました。


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午後1時半ならさすがに並んでないでしょ?ということで、帰りに西区の『中華そば 万楽』へ。このご時世に、未だラーメン一杯600円。ホント「ありがとう」です。

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名古屋城 ①

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生まれも育ちも名古屋ですが、入場料を払って名古屋城に入るのは小学校の遠足以来。現在、耐震性に問題ありということで天守は閉鎖されているので、平日ならばそれほど混雑していないだろうと、出かけてみました。見たいのは、石垣。それから本丸御殿です。残念ながら、天守を見上げると例のアレも見えちゃうのですが…。

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名古屋城の北側、名城公園内の道路にクルマを停めて、の外側から順番に眺めます。


西北隅櫓

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まずは1619年建造の重要文化財西北隅櫓(せいほくすみやぐら)名古屋城築城時に城下町ごと引っ越しをさせた清州越しの逸話の中に、清州城天守をこの櫓にした「清州城移築説」もあるようですが、この櫓が在りし日の清州城の姿だとすると、今現在の安土城ふう清州城はますます嘘くさいフェイクビルということになります。個人的にはこの清州越しよりも、犬山城のルーツかもしれない金山越しのほうが気になっています。

驚いたのは、このの西側にある、改築が終わった名古屋キャッスルホテル。天守閣を模した外観が立派過ぎます。名古屋城よりも豪華なのはいかがなものかと。

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立派な石垣を眺めながらグルリと歩いて、正門から西之丸へと入場します。観覧料500円は安すぎ。本丸御殿の観覧も含まれています。天守に入場できない今だけなのかな?


黒鉄門と矢穴

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鉄板で補強するのは、閉ざした門に火をかけられて突破されることを防ぐため。もしくは、接ぎ木部分を隠して見た目を美しくするため。黒鉄門・鉄門(くろがねもん)というやつです。矢穴(やあな)は、巨岩を割って形を整えたり運びやすくするためにくさび(矢)を打ち込むための穴です。


天下普請・藩の刻印

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石に刻まれたマークは、天下普請に駆り出された各藩の刻印。いたずら書きのようですが、苦労して遠方から運び込んだ石が他藩に盗まれないように、盗んで使ってもひと目でバレるようにするためのものです。親子連れが、一覧表を片手に刻印めぐりをして楽しんでいました。


清正公石曳きの像と東南隅櫓

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曳かせた巨石の上に乗り、お祭り騒ぎで掛け声をかけていたという加藤清正の像と、1612年建造の重要文化財東南隅櫓(とうなんすみやぐら)。天守かと言うくらいに破風(はふ)が立派です。

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萌える算木積

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熊本城ほどの感動はなかったものの、名古屋城石垣もかなりの見応えです。この部分は打込接・乱積のようですが、実は明治の濃尾地震でやられ大正期にも崩落し、その後に再建したものだとか。石垣の角部分の、算木積(さんぎづみ)反り(曲線)の美しさに萌えます。


さまざまな工法の石垣

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補修や積み直しもあるでしょうが、天守御殿などが火災や廃城で消えてしまっても、石垣だけは昔のままの姿で残されていることが多いですから、これだけ大規模な城郭石垣なら、歩き回って見ていてもまったく飽きることがありません。


西南隅櫓

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重要文化財西南隅櫓(せいなんすみやぐら)石垣ごと崩落して宮内省が修復したため、破風(はふ)丸瓦には徳川家の葵紋ではなく天皇家の菊の御紋が入れられています。実に面白い。


高く深い空堀

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地震で崩壊してしまった熊本城ほどの規模ではありませんが、名古屋城でもあちらこちらで石垣補修が行われていました。空堀の底には、昔から鹿が住んでいます。


表二之門

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鉄砲狭間(てっぽうさま)が並ぶ、1612年製の重要文化財表二之門(おもてにのもん)土塀石垣鉄板で守りを固めた黒鉄門でしたが、無粋な補強の枠材が目立ってしまって残念です。


不明門と天守礎石

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常に施錠されていて「開かずの門」と呼ばれた、大天守北側の不明門(ふめいのもん)。軒先には槍先のような忍び返しがズラリと並んでいます。同じく大天守の北側に並べられているのが、1945年の空襲で焼け落ちた天守の土台にあった礎石。鉄筋コンクリート天守を建てる際に、不要となったこの礎石をここに移動して元通りに並べたものだそうです。こどもがこの石でケンケンパッをして遊んでいました。清正公が見たら喜びそう?


天守台

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加藤清正の指揮で積んだとされる、高さ約20mの天守台熊本城石垣ももう一度見たくなってくる美しさです。


連結天守

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大天守小天守、そして初めて拝んだ本丸御殿大天守の右側は意図的に切ってます。だって…ねぇ~。


橋台

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天守間を繋ぐ剣塀(つるぎべい)忍び返しとして無数の剣がつき出ており、外から狙い撃ちもできないようにの両側がで囲われています。


清正石

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有名な清正石。でも、このエリアの石垣を担当したのは黒田長政なのだとか。ハテ??


西北隅櫓

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御深井丸(おふけまる)から見た西北隅櫓。公開されることもあるらしく、ぜひ内部を見てみたいものです。


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西之丸から眺める大天守。梅がきれいでした。


そしてラストの一枚は、コレ ↓ 

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これがかの有名な、鉄筋コンクリート製名古屋城外階段とエレベータータワー。城郭すべての景観や雰囲気を台無しにする破壊力です。城内をうろつく陳腐な武将隊や忍者コスプレのチンドン屋さんの姿と、西之丸の広場にズラリと並んだキッチンカー。そしてこのエレベーター。これら三つが名古屋城景観三悪です。これらがイヤでずっと名古屋城には立ち入りませんでした。たしかに当時の石高は雲泥の差かもしれませんが、こうしてどちらも訪れてみれば、石垣しかない岐阜の苗木城のほうが感動100倍です。生きてるうちに、木造復元天守名古屋城を見たかったなぁ~。ムリだろうなぁ~。本丸御殿に設置されていた豪華な募金箱には寄付しておきましたけどね。

午前11時から歩き始めて、午後1時過ぎまで。けっこう時間がかかりました。遠方から訪れるなら、せめて2~3時間の余裕は必要かと思います。城には有料駐車場もありますが、名古屋城周辺の官庁街などには、土・日・休日の駐車禁止規制解除、平日でも時間帯規制の道路が数多くありますから、事前にストリートビュー等で標識を確かめておでかけください。もちろん、法定の禁止場所は停めちゃダメ。オススメは、道幅が広くて停めやすい名古屋城北側の外堀沿い、西北隅櫓の正面あたりです。

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ポップ吉村の伝説

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秘蔵の文庫本を、久しぶりに読み返しました。《ポップ》とは、終戦後に地元福岡に進駐してきたオートバイ好きのアメリカ兵たちが、吉村秀雄氏のことを親しみをこめて呼んだ「おやじさん」を意味する愛称です。

これは意外と知られていないことですが、1970年頃までのヨシムラは四輪のチューンも手がけていました。あのヨシムラサイクロン、集合管も実は元々四輪用マフラーとして誕生したものです(蘊蓄エピソード)。私も、CBR400Fやゼファー1100にはヨシムラを、CBX750FやCB1000SFにはモリワキのマフラーを装着していましたが、この本ではそんなマフラーの話にはちょっと触れる程度。ポップ吉村が九州の町工場のおやじから世界的チューナーとして世界に名を馳せるまでを、実に丹念に追ってくれます(ただし「…なのである」を乱発する文章はややクセが強いです)。

有名な話としては、自社の技術者よりもエンジンパワーを絞り出してみせるポップに驚いて教えを乞うたはずのホンダが、やがて自信を深めるにつれポップを冷遇していく身勝手なさまや、『俺は中小企業のおやじ』にもチラリと登場し、私たち世代のファンにはスズキの顔としてよく知られているあの横内悦夫氏との出会いによって、ヨシムラとスズキの関係が深まっていくエピソードもちゃんと登場します。そして、横内氏が第1回の8耐参戦を想定して作り上げヨシムラがチューンしたGS1000が、人員も予算も桁違いのホンダワークスを打ち負かして8耐優勝するところまでがメインで、その時系列のなかに、娘夫婦がポップに勘当されたときに鈴鹿に立ち上げたモリワキのこと、ヨシムラやモリワキ出身者としてGPライダーになっていくシュワンツやガードナーのことなどが紹介されていきます。また、8耐にカワサキZ1で参戦していたモリワキチームのピンチになけなしのGS1000用スペシャルドライブチェーンの提供を決断した、スズキ横内氏のエピソードもなかなか感動的です。

巻末にも「if」が書かれているように、情熱と執念と狂気のキャラ被りな本田宗一郎氏と吉村秀雄氏は、まさに似た者同士。もしも1960年代からのホンダとの関係がずっと良好なままだったら、その後のヨシムラはどうなっていたのだろうという妄想や興味は尽きないのですが、四輪二輪問わず、スズキというメーカーのファンが読んでも面白い一冊だと思います。

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苗木城ツー

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午後から風が強くなるとの天気予報にちょっと迷いましたが、路面の融雪剤も雨ですっかり洗い流されたし、最高気温も20℃まで上がるらしいので、いちおう完全冬装備のままでひとっ走りしときました。小牧山城に続いて『小牧・長久手合戦』に触発され目指すのは、中津川の苗木城です。

国道19号で中津川まで。昔は有料だった城山大橋を渡ります。苗木城に到着したら、一番手前の駐車場にWを停めて山の中の登城道へ。冬ジャケット&オーバーパンツでは、たちまち汗ばんできます。ヤバイ。

駐車場情報。4月から、史料館とその上にある城跡直近の駐車場が有料化されます。単車は無料のままだそうです。私が停めた駐車場と、さらに国道側へと戻った臨時駐車場は、遠くて不便だからなのか、無料のまま運営するとのことでした。参考まで。

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こういう山道をしばらく進んでいくと、やがて見晴らしのよい場所に出て、谷の向こう側には恵那山を背景にした苗木城がドドォーンと。よくもまぁ~あんな高いところに城をねぇ~…と。

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駈門の奥に見える、埋門(うずみもん)。巨大な岩で門構えを作っていますが、美しさはないですね。真ん中に亀裂が入っています。

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こんな狭い岩山の上に井戸がある不思議。決して枯れることがないそうです。籠城戦に水場は重要ですからね。でも、いざとなったら眼下の木曽川まで汲みにいけばいいような…。

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上から見る大矢倉。巨大な櫓台石垣は、正面から眺めるときれいな切込接(きりこみはぎ)に、風吹門側を見ると打込接(うちこみはぎ)のように見えますから、パーツごとに工事の年代が違うことがわかります。

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頂上に到達するまでに、いったい櫓門がいくつあったのやら。狭い岩山をクネクネと登城する間に、「こんなに要りましたか?」って言いたくなるくらい、門跡が続きます。

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そして、天守台。巨大な岩の上に組まれています。へんてこりんな模擬天守を建てていないだけに、この不安定な土台の凄さが際立ちます。

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天然の岩山に溶け込むように組まれた石垣。これだけを見ていても楽しいので、暑いけどしばし時間を忘れます。

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眼下には、木曽川を渡るリニアの橋が架けられていました。開通したら、走り抜ける様子は見えるのかな?

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このあたり一帯を治めていた遠山一族。周囲を武田木曾織田に挟まれ、小牧・長久手の戦いでも攻められた城ですから、実戦的な作りだったのでしょうが、大大名が配下の縄張名人や石垣名人の部下に普請させた各地の名城と違って、岩マニアの殿様が長い年月をかけ、いくさの合間にコツコツと岩を積み上げて完成させた、まるで『北の国から』の五郎さんの家みたいな手作り感が魅力的です。野面積から切込接まで、世間の石垣作りの進化に合わせたコツコツぶりがかいま見えて、微笑ましいとすら感じます。でもこの場所。冬の寒さは尋常じゃなかったことでしょう。吹きっ晒しだし、足元は木曽川だし、冷たい岩だらけだし。「武士は食わねど…」だったのでしょうか??

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陽当たり良好の山城を歩き回っていたら、汗だくになりました。服装といい、ブーツといい、単車での城めぐりはあまり相性がよくないです。日陰のベンチで重ね着を脱ぎ捨てて休憩していると、静かだし、見晴らしもいいし、風も気持ちいいのですが、真夏はちと厳しそう。

若い頃からぼんやりとしたサブ的な趣味だった滝めぐりや城めぐりですが、こうしてようやく本腰を入れてみると、どちらもツーリングがてらはしんどいです。クルマのほうが身軽だし、季節や時間帯の選択も気軽です。トコトコと古い町並みを散策して写真を撮ったりするには単車が便利なのですが…。

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帰りは県道408号で。汗だくで走り出し、ジャケットのファスナーを開けてクールダウンしながら、苗木から中野方へと抜けました。先月のツーリングで中野方ダムから入ろうとして冬季通行止めだった峠区間には、まだ凍結通行止め看板が出されていましたが、(イヤイヤ、もう3月だし。イケるでしょ!?)と突入すると、まったく問題なく峠を越えることができました。あとは木曽川沿いに走り、国道418号で赤い武並橋を渡って帰宅です。ずいぶん暖かくなってきたので、ポカンと口を開けて浮かれ気分でハンドルを握るゴミどもがめっきりと増えました。

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会津宮泉 吟醸

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純米ではなくアル添だけど、精米歩合は大吟醸なみの50%。『冩樂』と違って、古くからの地元ファン向けにつくられた銘柄ならではの一本です。呑み終えた『笹正宗』もおいしかったけど、いざこれを開けると「やっぱりコッチだな」と思ってしまいます。決して薄いとか、そういう意味ではないのですが、無味無臭であるはずの水の味をなぜだか強く感じます。しかもすごくおいしい水の味。だから「ウマい!ウマい!」とすいすい呑めちゃうし、不思議な酔い方をするわけです。一時期、安定美味の『冩樂』に大いにハマりましたが、近ごろは宮泉銘醸さんのチャレンジ&試行錯誤銘柄であるらしい『宮泉』を会津若松で手に入れて、(これはどんな味なんだろう??)と持ち帰ることも楽しみのひとつです。

幸せメーター ■■■■■■■■

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小牧山城

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小牧山に登ったこと、あります。でも、若いころに一度だけ、それも体力トレーニングのためで自らの意思で登ったわけでもなく、頂上にはコンクリートの天守もどきしかないことはそのときに見ていたので、最近までちっとも興味のわかない城跡でした。でも今回は、平山優 著『小牧・長久手合戦』に触発され、ちょっと行っとくことにしたわけです。わりと近所だし。

周囲を住宅街や商業施設に囲まれた、標高100mにも満たないこじんまりとした山ですが、南側から登城すると有名な一直線の大手道が現れます。ちなみに、駐車場は目の前にある小牧市役所を利用しました。市役所の一階フロアでは、小牧山城の略図も載った案内リーフレットを手に入れることもできます。

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見たかったのは、土塁。下から見上げるとひとつの繋がった土塁に見えるけど、実は安易に攻め上がると深いに阻まれて上から狙い撃ちされるという作り…らしいです。まぁ~、旧市役所庁舎を撤去した後に復元されたものなんですけどね。『小牧・長久手合戦』の中に、この土塁の話が登場するのです。小牧山の北側に布陣していた豊臣方の目を盗んで、三河中入を狙う敵の軍勢を追撃する一万もの信雄・家康隊が、発見されることなく移動可能だったのは、もしかするとこの土塁の中を伝って身を隠しつつ山を抜け出たのかも…説があると書かれていましたので、その土塁の上に立って、闇夜に乗じ静かに出陣していく家康の姿を妄想しました。

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山頂の岩盤に沿うようにして重ねられた野面積石垣も、実は復元モノ。今さら感は否めませんが、小牧山城ではまさに今現在も発掘調査が進められています。山の頂上に実在しなかったウソ天守をコンクリートで建てちゃってますから、せめてそれ以外の史跡を発掘復元してもらいたいものです。ちなみに頂上からは、双眼鏡でも持参していないとはっきりとはわからないものの、犬山城岐阜城清州城が一望できます。織田信長が、清州城を出て岐阜城に移るまでのたった4年間しか使わなかった山城ですが、この小牧山城も含めたこの地域の城郭が、それぞれ公園やテーマパークではなくちゃんと史実どおりの復元をしていたら、国宝犬山城とともに、小牧・長久手エリアで大いに賑わったことでしょうね。

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金華山&岐阜城の遠望。この眺めを見てから帰宅して、岐阜城が自宅からも見えていることに気づきました。小牧山城はいつも眺めていたのですが、てっきり金華山は高層のビル等に遮られていると思いこんでいました。関ケ原を抱えた伊吹山や御嶽山も見えるし、自己満足の絶景です。

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さて。今回改めて登ってみて、この小さな山の、しかし意外な森の深さに驚きました。立派な巨木がかなり目をひきます。徳川幕府の時代には立ち入り禁止の聖地とされたために荒らされることもなかったそうですが、「ない」と言われながらついにその存在が判明した南方の城下町も含めて、小牧山の裾野に市役所を建ててみたり、発掘調査もせず周囲に住宅や工場を建ててしまったりと、無計画な戦後の都市開発が惜しまれます。

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小牧・長久手合戦

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『小牧・長久手合戦 秀吉と家康、天下分け目の真相』。書店をブラついていてふと目に留まった新書です。地方の書店減少がニュースになっていて残念ですが、こういう出会いはリアル本屋ならでは。Amazonの「あなたにオススメ」ではありそうでナイんです。

著者も書いているとおり、小牧・長久手の戦いは歴史の教科書でもサラリと流して終わりの出来事で、司馬遼太郎などの歴史モノ作家もこの戦いをメインにした作品は書いておらず、地元の歴史でもあるのに個人的にもずいぶん薄い印象でしたが、これを読むと信長亡き後の混乱が関東から四国にまでたちまち広がる様子や、信長に虐げられてきた恨みが各地から噴き出し、それらを取り込むための調略や裏切りが全国規模で同時進行していたことがわかって、非常に面白い一冊です。登場人物がやたらと多いし内容もとにかく濃厚なので、読み進めるときは真剣モードでしたけど。

書店では最初に見かけたときから平積みだったのに、たちまち残り一冊となっていたのはやはり地元だからなのでしょうか。木曽・東濃・尾張・三河各地域の馴染み深い地名が登場するのですが、それぞれの土地の風景や距離感がわかるだけに読んでいても楽しいです。織田信雄・徳川家康側の小牧山城と豊臣秀吉側の犬山城の対峙も、現代の風景でみれば「どちらも濃尾平野にポツンと一軒家ぢゃん」となってしまうのですが、実は当時の尾張地方が堤防で制御されていない木曽三川の暴れっぷりに浸かった湿地帯だったために大軍で移動できるルートは限られていたと知ると、「なるほどぉ~」となるわけで。昔よく遊びに行っていた同期の実家が小牧山城の河川交通網《舟津》地区だと書かれていたり、長久手に向けて小牧山城を出撃した信雄・徳川軍が味鋺~朝宮~勝川~下条~龍泉寺~岩作と進んでいく様子が、土地勘があるだけに妄想ざんまいの脳内VR状態だったり。

北は上杉、東は真田や北条、西からは毛利と長曾我部、甲賀・伊賀者や一向宗、水軍や雑賀・根来衆と、歴史小説にも登場する集団が、全国各地で入り乱れて半年以上も戦うさまは、一堂に会したったの6時間で雌雄を決する関ケ原の戦いのような、わかりやすく勇壮な景色は醸し出さないのですが、連絡手段が狼煙と手紙しかない時代にそれぞれの思惑で動く覇権争いのひとコマひとコマとして、まさに天下分け目の戦いだったようです。城郭マニアから見ても、原っぱで行われた関ケ原の戦いとは違って、岐阜城・松本城・上田城・小牧山城・犬山城・大阪(坂)城などメジャー処以外にも、岩村・苗木・妻籠・長島・墨俣・大高等々、現世で各地の自治体が細々と管理保全しているような城跡や砦跡にまつわるエピソードがこれでもかと出てくるので、ずいぶん楽しめると思います。

2021年、関係自治体が【小牧・長久手の戦い同盟】を結成したという報道を思い出しましたが、グーグルマップで城や砦跡を検索してみてもあまり予算をかけた様子はなく、せいぜいノボリ旗や案内看板の設置くらい。スケールの大きい広域な歴史遺構としてあらためて保全しようにも、担当者からすれば「住宅街に埋もれ開発済みの土地を今さらどうしろと??」って感じなんでしょうね。惜しいことです。

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伏見新京で呑む

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痛風疑惑の晴れた(?)大酒呑みデッシーおすすめの『新京名古屋伏見店』で、名西カワサキのてんちょうさんとともに飲み会を。伏見の新京は初めてです。途中でタバコを吸うためにてんちょうさんと中座しましたが、カウンター席のラーメンどんぶりを見て(ラーメンだけ食べる人もいるんだ…)と大いなる勘違いをするくらい、他の『新京』とは違う、まるで居酒屋の雰囲気でした。

「今年はぜひ、W5台でツーリングに行きたい!」とお願いしましたが、なんとNaokiがWを手放していたことが判明。「ナニナニ?なさかRSぢゃないだろうね?」と尋ねたら、そのZ900RSでした。言わなかったけど、たぶん、すぐ飽きると思う。

ということでW揃い踏みは叶いませんが、あとはてんちょうさんのW650復活待ち&S井さんの車検待ちとなりますので、おふたりともよろしくお願いします。『伏見新京』はさすが旗艦店と名乗るだけあってクオリティーが高く、ベトコンもゲソカラもとてもおいしいです。『新京』の比較話で盛り上がりましたが、各店の微妙な味の差についてはみんなの意見が一致していたので、やっぱり『新京』は小牧店か伏見店で食べるのがイチバンかなと感じました。また、『伏見ミリオン座』で映画がてらに訪れたいと思います。「ベトコンはあとから!映画が先!」ぢゃないと迷惑でしょうけどね。

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城巡りにも疼く春

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  国宝 松江城

 

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  国宝 彦根城

 

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  国宝 姫路城

 

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  国宝 犬山城

 

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  国宝 松本城

 

録画しておいたNHKの【プロジェクトX】を。

『白鷺城はよみがえった』は、瓦に塗られた白い漆喰に浮き上がる、灰頭(はいがしら)という左官職人の技に焦点をあてた回でした。あんな素晴らしい逸話を知っちゃうと、縄文遺跡もいいのですが城巡りも俄然行っときたくなります。国宝5城はすでに訪れ、ここ数年は白石、白河小峰、二本松などの東北エリアをあちらこちら、退職後には念願の熊本城や函館五稜郭にもようやく行くことができた今。ならば未踏の現存12天守を…と思いあらためて確認してみると、福井の丸岡と、あとは備中松山、丸亀、伊予松山、宇和島で、いずれも四国・中国地方の城郭ばかりです。う~~ん、アッチ方面かぁ~…と思いつつも、んっ?待てよと。『坂の上の雲』といい、城めぐりといい、つい最近O先生から言われた原付野宿旅の話といい、様々なエピソードが「今年は四国に行っとけ」と指さしているような、いないような…。そのいっぽう、書店で『小牧・長久手合戦』というかなり気になる書物を見かけたので、あれを片手に地元の城跡巡りもいいかもと考えてみたり。

『ゴジラ、アカデミー賞を喰う』は、山崎貴監督率いる山崎組の紹介でしたが、映画の公開&受賞以降、ハリウッドからは多くの誘いがあるものの、「まず次作はもう一度ゴジラで」と決めているそうです。これまた楽しみです。

 

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ホワイト餃子 植田店

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いつ以来なのか思い出せぬままに、ときどき無性に食べたくなるシリーズの『ホワイト餃子』。開店30分前に到着しましたが、すでに何組か待っていました。

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初めて頼む、サラダ。これでもかとドバドバかけられたドレッシングが腹を襲います。ライスもふんわりとではなくギュンギュンに盛られてきますし、スープもデカ盛り。ですから、肝心のホワイト餃子を食べ進むころにはすでに腹パンです。毎回、この繰り返しのような気もしますが、店を出てクルマに乗り込むころにはもう(とうぶん食べたくない)という気持ちがフツフツと。苦しくて吐きそう。サラダは要らんな、うん。

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県外ナンバーのクルマも多数。中川区の黄金(こがね)はあんな感じになってしまいましたし、あとは周辺と言っても静岡市や金沢市、はたまた長浜市。どこを選んでも遠距離です。最寄りと呼べるのは唯一、植田店のみ。どこか近場に新しい店ができたらうれしいのですが。

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俺は、中小企業のおやじ

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一度は読んでみたいと、かねがね思っていた鈴木修さんの著書『俺は、中小企業のおやじ』。もう書店では手に入らないので、中古本をAmazonしました。出版されたのは、2008年のリーマンショックの頃。1978年の社長就任時に3,232億円だった売り上げを、2006年には3兆円超えにまで押し上げた、その当のご本人が書かれた一冊ですが、昔、『ホンダ神話 教祖なき後で』を読んだときと同じくらい真剣に読みました。二輪・四輪どちらも愛用してきたなかで、こうしてメーカーの歴史やトップのカリスマ性を知る機会を得ると、ますますそのメーカーのクルマや単車に愛着が沸くし、どちらも今でいうところの「ブランドの物語性やストーリー」をトップ自らが体現していく凄みを感じられる書籍です。

中身は、実はインドへの進出が運と偶然の産物だったとか、決して順風満帆ではなかった婿殿の立場での逆襲の社内史とか、ジムニー誕生の秘話とか、クルマ一台あたりの部品点数2万点を分解すればひとつの部品の利益はたったの1円50銭にしかならないとか、工場を動かす重力と光はタダだとか、二輪のHY戦争に巻き込まれてしまった話とか、後継者の早世による波乱とか、まぁ~、どれもこれもホントに興味深い話ばかりです。もう叶わないこととはいえ、願わくば、2000年代のスズキの物語を続編としてもう一冊残していただきたかった、読んでみたかったなと感じます。

2015年に長男が社長に就任したスズキは、2025年発表の中期経営計画において【今後6年間で売上高を8兆円に押し上げる】としています。国内メーカーの世界販売台数ではもはやトヨタに次ぐ2番手ですし、今はヒット連発でイケイケ状態なので、楽しみです。「誰も進出しない国ならイチバンになれる」からとアメリカや中国の市場に依存しなかったことが、こんなにも有利に働く日が訪れるとは、修さんも天国でしてやったりの思いでしょう。「4億人にマイカーが普及したインドには、いまだ手にしていない10億の人々がいる」と鼻息が荒いスズキですので、そのインドに政情不安が起きないことを、スズキファンとして、いちユーザーとして祈っております。

スズキというブランド。『おしゃれなスタバとか映えるスイーツの店とかがめっきり増えてしまったショッピングモールにあって、相変わらず昔ながらの威勢のいい掛け声とともに地道に商売している、庶民的な魚屋さん』。そんなイメージが、残クレ客優先とか敷居の高いお上品路線に転じた他メーカーとの違いを生みだして、今、じわじわとウケている印象があります。

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小牧基地航空祭2025

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やはりブルーインパルスが来ると盛り上がりますね。今年は4万6千人を集めたらしい小牧基地航空祭。2年前だったかな?でかけたときも凄い観客で。身動きも取れず、しかも持参したカメラがGRⅢxだったのでさすがにちょっと厳しくて。なので今回は会場には向かわず、遠巻きに高倍率ズームのオールドコンデジ2台体制で撮ってみました。快晴だったらこの2台でももう少しイケると思うのですが、コントラストの低い曇天にブルーインパルスのスモークは「とりあえず撮れたけど…」でした。

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被写体が野鳥とブルーインパルスのときにだけ、手放したミラーレス一眼と望遠レンズのことが恋しくなります。

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同期生会2025

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久しぶりに同期生と会いました。幹事に「アレ?同期生会の幹事って順番に回すんぢゃなかったっけ?」と訊いたら、「全然やらんからしかたなく俺らがやっとるし!会計もずっと俺だし!!」と少々ご立腹でした。ありがとねぇ~。S先生とO先生に導かれたうちのクラスは、幸い、いまだ誰も突然死を迎えていません。SR500乗りだったS先生の影響を色濃く受けたせいか、他のクラスと違って二輪部門へと進む者がやたらと多く、20代前半の頃のツーリングといえば、ほぼこのメンバー。

2年前にとっとと辞めた私にとって愉しみだったのは、いよいよ定年を迎えた同期の連中が定年延長するのか…でした。10名?だったかな。思ったより多い印象です。「するわけないぢゃん!」の返答がごもっともなヤツもいれば、「えっ!?まだやんの??」と意外なヤツから延長を聞かされたり…。まぁ~、いろいろと事情もあるようです。「ボケるから仕事しといて」と家族に言われ延長決定したヤツからは、「毎日、なにやってるのさ?」と根掘り葉掘り。O先生も後期高齢者になられてますますお元気でしたが、S先生の欠席は残念でした。今後はこのような集まりも難しくなるでしょうから、ラストのつもりで参加した者も多かったのではないかと思います。あっという間の2時間でした。

そうそう。「退職してすぐ、唯一未踏の都道府県だった鹿児島までツーリングにでかけましたよ」と宮崎の出身であるO先生に話したら、「オマエは四国を原付で野宿旅したんだったな」と。40年以上も前の会話を、よくもまぁ~覚えているものだと驚いてしまいました。

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笹正宗 純米吟醸 カラクチ+10

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最強寒波な東北旅で手に入れたこの一本は、初めて呑む喜多方の酒『笹正宗』。『カラクチ+10』とは、日本酒度がプラス10だよという意味。マイナス1.4~0~プラス1.4が普通、プラス6.0以上ともなると大辛口に分類されるわけですが、どの銘柄にも必ず明記されているというわけでもないし、普段、酒店で手に取るときにも特段気にかけたりはしません。個人的にはいつも呑む『大信州 超辛口』が目安でありベンチマークでもあるので、辛さ加減ならソレとの比較になります。

いざ呑んでみたところ、とことん甘ったるさから離れて無の境地に行こうとする『大信州 超辛口』(日本酒度は+14)よりもクセが強いというか、久しぶりにセメダインの香りがする日本酒を開けた気がします。感想としては、上手く綺麗に呑みやすくしたザ・日本酒系。『ささまさむね』との棲みわけなのでしょうか?機会があれば『ささまさむね』も呑んでみたいと思います。

幸せメーター ■■■■■■

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坂の上の雲 後編

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まことに小さな国が

開花期を迎えようとしている

で始まるNHKドラマ『坂の上の雲』の再放送とほぼ同時進行で、後半の5~8巻をようやく読み終えました。

「そこから旅順港は見えるかっ!?」

1,000名の突撃部隊がたった10名になるのに15分かからなかったという凄惨な203高地攻撃を、ようやく完遂した際に児玉源太郎が尋ねるシーンは、NHKドラマ版でも後追いで観ました。泣けます。

物語の後半部分は、東郷平八郎が率い、秋山真之が活躍するバルチック艦隊との攻防です。この、20年前までちょんまげを結い、粗末な着物を着て草履で歩いていた、小さな猿の群れのような国がバルチック艦隊を撃破するという奇蹟の物語や、前半の203高地攻防戦は、日本人の感情を、ある人は大きく右に、またある人は大きく左へと、さまざまに揺さぶるアブナイ要素が満載ですが、個人的には、対馬沖に到達するまでのバルチック艦隊の大航海の様子にも大いに読み応えを感じました。『坂の上の雲』、当時の世界史と日本史を同時に読むことができる、まるで教科書のような面白さもあります。

日本の軍隊が、陸軍上層部を長州閥、海軍上層部を薩摩閥で独占して群れている様子や、「無能な指揮官がその無能さを隠避するために風紀規律ばかりやかましく言う」等々、現代にも通ずる【組織あるある】もしっかりと描かれていて、だからこその「昭和のサラリーマン必読書」だったのでしょうね。

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全8巻の30年ぶりの再読を終え、NHK版のスペシャルドラマも残り一話というところまで観終えた今、横須賀を訪れたときのことを15年ぶりに思い出しました。NHKドラマの放送はちょうど私が『龍馬伝』を観ていた頃、そしてまさに横須賀を訪れていた頃なのに、当時、まったく観ていなかったのはナゼでしょ??このドラマにおけるVFXの凄みは、バルチック艦隊との戦闘シーンでピークを迎えます。思わず、クレジットの中に山崎貴監督の名前があるんじゃないかと探すくらいの素晴らしい映像でした。明日放送の最終回、愉しみ半分の寂しさ半分です。

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雪化粧の鶴ヶ城

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快晴です。天守からは遠く磐梯山も眺めることができるはず!ということで、街中で絶賛開催中の道路凸凹ツルツル祭りに、しかも二日連続で参加するのはホントに不本意なんですけど、ここはグッと堪えて、鶴ヶ城にも立ち寄っとくことにしました。

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昨年の絵ろうそく祭り以来、一年ぶりの鶴ヶ城。朝っぱらから、団体観光客がゾロゾロと歩きながら例の甲高い声でなにやら喚いています。そんな某国人ったら揃いも揃ってパステルカラーとサングラスが大好きなので、声を聞かなくてもすぐにそれとわかります。

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赤瓦に雪を被った天守閣が見えてきました。復元天守ではありますが、いつ見ても美しいシルエットです。

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久しぶりに天守にも入場して、雪に覆われた会津の街と、周囲の山々の遠望を楽しみます。何度見ても、やはり松平容保公に似ているぞ、スギは。

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ここから眺める限り、実に美しい東北の雪景色なんです。ここから眺める限りにおいては…ですけどね。凍結凸凹ツルツル祭りが今まさにこの鶴ヶ城の周辺でも開催されていると思えば、なかなかにゾッとする景色です。

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『会津娘』の【春泥】もちゃんと手に入れましたし、リッター200円オーバーの高級ガソリンを満タンにしたら、会津若松インターから愛知県へとひた走ります。今回の東北旅は初めて訪れる二か所の温泉地に、保険として慣れ親しんだ会津若松を組み合わせたつもりでしたが、最強寒波のせいで、よりによって大好きな会津の街が一番寛げなかったという結末になりました。ホント、もうしばらくは会津カンベン。

後日、洗車を済ませて給油したら、リッター180円。決して安くないのになんだかありがたく感じちゃいます。愛知県民はまだ恵まれているほうだと思わなきゃですね。さらに言えば、大雪に埋もれてしまった道の駅や日産ディーラー駐車場の充電スタンドの光景を目の当たりにして、やっぱEVには乗りたくないなと。

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東山温泉(福島県)

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2月上旬からの最強寒波襲来で、観測史上最多の積雪量となっていた会津若松。昨年は絵ろうそく祭りを楽しみましたし、冬の会津若松にはもう何度も訪れていますが、全国ニュースで報じられていたとおり、今冬はとんでもない状況でした。より日本海に近かった北方の山形県よりも、この市街地での雪道走行に悪戦苦闘することに。いやはや、どっと疲れました。

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除雪作業で迂回を余儀なくされ、どのあたりを走っているのかよくわからなくなりながらも、なんとか道の駅『ばんだい』まで。ここも雪に埋もれていますが、駐車場はきちんと除雪されていたので、暖かい館内でホッとひと息でした。

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ここは毎回楽しませてくれるので、いつも立ち寄るのが楽しみです。モンベルや、すぐ近くにあるカメラ&レンズメーカーSIGMAの展示販売も。ドリップコーヒーやネコのおやつなどを買い求めました。

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いつもなら遠くから見えているあの巨大な白い観音像も、一面の銀世界に溶け込み霞んでいて、すぐ真横を通過するまで気づきませんでした。ほどなくして、アチコチで渋滞が酷いことになっている会津若松市に突入。さて、ここからが極悪です。とりあえず、いつものように『柏屋』で買い物を済ませ、日本酒買い出しのために『渡辺宗太商店』へ移動しようとしましたが、住宅街に入ったとたん、スタックしたトラックに阻まれて危うく共倒れしそうに。ヒィーヒィー言いながら、悪さをするトラクションコントロールをOFFにしてなんとか脱出。まったく除雪されていない住宅街の路地に(ヤベェ~ぞ、こりぁ)と思いながら宗太さんを諦め、なかなか進まない渋滞を我慢しつつ、会津若松駅の南を抜けて七日町方面へ向かうことに。

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あの当時、踏切から会津若松駅の南側に抜け、『フジグランドホテル』前の交差点を通過した人ならわかっていただけると思います。酷かった!すれ違う渋滞の列から一台ずつ、交互に、走行ラインをよく考えてから突入しますが、まるでトライアルの大会でセクションインを待つ心境。こうなると、最低地上高の低さがツラい。許されるものなら歩いて下見したかったです。鉄道も動いていないのに、踏切越えの渋滞の列がなかなか進まないのもこれが原因でした。除雪されぬまま踏み固められて凸凹に陥没して凍った道を、事故らないように、スタックしないように。すれ違う軽自動車のおばちゃんも、必死の形相でガコンガコンと飛び跳ねながら走り抜けますが、その周辺では、まるで面白いアトラクションでも眺めるように何人もの見物人が。途中で前に入れてあげた軽ジムニーのドライバーのことが心底羨ましかったです。

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ようやく到着した七日町も渋滞&凸凹。目指したバーガーショップもやっておらず、疲れも倍増です。クルマをコインパーキングに停めたままにして、『田季野』まで歩くことにしました。

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交通量がある市街地なので、カチカチに凍った積雪をみんながスタッドレスタイヤでツルツルに磨き上げ、深い溝や穴を設けます。すると、軽自動車は上下に飛び跳ね、パネルトラックは左右にあり得ない角度まで傾き、車高が高くないクルマは前後にガコンガコンと底打ちしながら走るアトラクションロードに。これにはホントに参りました。会津若松市は「もうすでに今年度の除雪費は底をついた」と2月早々には発表していましたが、近隣の猪苗代町や喜多方市ではここまで酷い状況には遭遇しなかったので、雪の積もり始めたタイミングでの除雪対応の差なんでしょうね。歩道も埋もれて使えないし、片側二車線の国道も除雪した雪を積み上げて一車線しか走れないし、駅前では、徒歩での買い出しと思しき高齢者が荷物を雪の上に投げ出し疲労困憊のありさまで座り込んでいましたし、今回は、大好きな会津若松の意外な一面を見た気がしました。

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それでも徒歩が一番安全とばかりに、なんとか『田季野』まで歩き、今宵の晩メシとなる輪箱飯をテイクアウト。途中、(もしかしたら会えるかも)と、開店前のいつもの居酒屋にも立ち寄ってみましたが、「大将はちょっと出かけてます」とのことで残念ながら…でした。もう『渡辺宗太商店』も諦めて、近くの『植木屋』で日本酒の買い出しを済ませちゃいます。このあとも、クルマを停めてあった七日町から今宵の宿がある東山温泉までの間、会津若松市内を横断しながら、愛車の底をガコンガコン言わせて凍った凸凹道を走り抜けました。壊れるってば。

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手前の会津武家屋敷に立ち寄って【長久保のしそ巻き】を購入してから、これまた深い穴ボコだらけの凍結路ですれ違いも困難な東山の温泉街の狭い道へ。いつも停めている駐車場へと向かうと、「ここはスタックするので」と別の場所を案内されました。ヤレヤレ…です。荷を解いて、酔っ払いながらおいしい輪箱飯を食べ終えたら、さっそく自噴泉に浸かって一時間近くもマッタリ。今日一日の想定外な疲労を癒します。前日まで二泊で酸性の湯に浸かっていたので、東山温泉の湯の柔らかいことったら、もう。朝寝朝酒朝湯が大好きでぇ~♪の小原庄助さんしときましょう。

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翌朝は快晴。(またあの街中を走るのはイヤだなぁ~)と躊躇しましたが、青空に映える雪の鶴ヶ城を見ずに帰るのはさすがにもったいないと思い、再び阿鼻叫喚の会津若松市街地へと突入することにしました。

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中ノ沢温泉(福島県)

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山形県の小野川温泉を出発して喜多方へ。冬の国道121号はいつもと違う景色に…と言うか、左右の雪壁が高すぎて周囲の景色がまったく見えません。徐々に「最強寒波襲来!!」を実感しつつありますが、実はこのときはまだ序の口でした。

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ほとんど行き交うクルマもないまま福島県側に越えて、ようやく左右の雪の壁も低くなった国道121号ですんなりと喜多方入り。久しぶりの『喜一』で朝ラーを堪能したら、今度は国道459号を東に走って雪深い裏磐梯・桧原湖方面へ。昨年の秋にはおいしいジェラートを食べたはずの道の駅『裏磐梯』も雪に埋もれていて、可能なのはトイレ休憩のみ。国道沿いの『会津一望の丘』展望台も除雪されずに埋もれたまま放置でした。

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今宵のお宿のチェックインにはまだまだ時間があるので、まずはいったん猪苗代町に出ます。除雪の通行止めで不案内な迂回を余儀なくされながらも、『牛木精肉店』やスーパーで買い出しを済ませ、国道115号で安達太良山方面へと走り、連泊する中ノ沢温泉に向かいます。野地温泉は雪崩でたいへんなことになっていましたし、高湯温泉でも積雪が原因と思われる不幸な死亡事故が起きました。いずれもかつて宿泊したことのある温泉地ですし、どうにもよそ事とは思えません。今宵の中ノ沢温泉は大丈夫??

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なんとか無事に到着した、中ノ沢温泉。安達太良山と磐梯山の間に挟まれ、かつては湯治場として栄えた温泉地です。スキー客などで、宿はそれなりに賑わっていたのですが、温泉街自体は、吹雪のなか、ゴーストタウンのようにひっそりと静まり返っていました。連泊中の晩メシをあてにしていた食堂も休業。周辺の飲食店を覗き、声をかけて尋ねるも「営業は昼だけ」とのこと。二日間とも朝食は宿ゴハンなのでいいとして、ヤバい!晩メシ難民になる!?

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青根温泉の某お宿ほどではないにしても、館内がかなり寒いのは最強寒波のせいでしょうか?猛吹雪が吹き抜ける露天風呂の壁に吊るされた温度計は、マイナス2℃!!女将さんに「少し熱いかも」と言われていた湯も、いい具合に冷めて適温でした。安達太良山の噴火口にある源泉を約7kmも引湯しているとのことですから、元々はかなりの高温なのでしょう。ここの源泉、単独の温泉湧出口としては日本一の湯量なのだとか。

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(こんな吹雪の中をでかけて晩メシなんて、そもそもムリだったかも…)と思いながら、休憩しつつ2時間ごとに二日間、温泉ザンマイを繰り返しました。強い酸性の温泉で、飲むと薄いレモネードみたいな味がします。あまりにも満喫し過ぎて、肌もやや荒れ気味。でも、万座温泉ほどの攻撃力はないらしく、湯あたりはありませんでした。

ここの温泉街には共同浴場もなく、初日に泊まった小野川温泉よりも寂れた雰囲気です。ここで一泊、小野川温泉で連泊しておけば、肌にも優しく、より楽しめたかもしれません。

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今回がお初の、小野川温泉と中ノ沢温泉。泉質は、甲乙つけがたいくらいどちらも素晴らしい湯でしたが、もしも再訪するなら、やっぱ小野川の湯かなぁ~と思います。

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まったりと二泊三日を過ごした中ノ沢温泉を離れます。猪苗代町まで下ってから、県道7号で道の駅『ばんだい』へ。途中、磐梯山がクッキリと見えていたのですが、やがて猛吹雪のホワイトアウト。リアフォグランプを初めて使用しながらの会津若松入りです。

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小野川温泉(山形県)

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心配な、大船渡の山林火災。発生から6日が経過してもまだ鎮火しません。約2年前、盛駅から乗車して満喫した三陸鉄道も、線路を跨いでとうとう恋し浜駅のあたりまで燃え広がってしまったようです。駅舎に飾られたあの貝飾りはどうなったのか…。

宮城から岩手にかけての海岸沿いを走ると、山の高台へと繋がる道沿いに[〇〇団地↑]といった案内をよく見かけます。東日本大震災の津波で被災された方たちの新たな暮らしの場だと思いますが、今回はその山側がたいへんなことに…。雨、降れってば。

 

気を取り直して、東北旅初日の話を。

愛知県を朝6時に出発。『すき家』で大好物の【牛まぜのっけ朝食】を平らげてカロリーチャージしたら、あとはひたすら高速道路。中央~長野~上信越~北陸と、各自動車道をひた走り、新潟市内を通過後もいつもの磐越自動車道ではなく、日本海東北自動車道で淡々と荒川胎内インターまで。初日は山形県まで約600kmの道のりなので、高速道路ではACCや車線逸脱抑制などのサポート機能をすべてONにして、楽チンお任せ運転に徹します。

伊那路あたりまでは雲ひとつない快晴で、左手に見える冠雪の駒ヶ岳を(実に美しい…)と眺めていましたが、信州中野インターあたりから天候は急変。ホワイトアウト状態の長野新潟県境を通過しながら、何度もペースカー(除雪車)に先頭を塞がれてのノロノロ渋滞行列走行を強いられつつも、全車速追従ACCのおかげでイライラせずに済みました。

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荒川胎内インターで降りて右折、荒川沿いを東へと走る国道113号で県境を越え、山形県入り。それなりに大きな川でしたが、川面は氷に覆われていました。

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冬の肘折温泉を訪れた7年前よりも、今回のほうがより積雪が多い気がします。市街地では除雪車が頻繁に行き交って、住民総がかりで除雪作業をしている様子が印象的でした。そんな中を通過させていただき、感謝です。

今回の旅では、初めて訪れる温泉地を二か所選んでおり、最終日には会津若松まで南下しますが、まずは泉質自慢がとっても気になる、山形県は米沢市西方の小野川温泉へ。

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温泉街につくられたかまくらで、周辺の店から出前を頼んで食べることができると聞いて楽しみにしていたのですが、そもそもかまくら自体が宣伝するほど大規模でも風情溢れるものでもなく、さらには出前を利用できる時間帯も限られていたことから、ちょっと覗いたら「寒いし、もうイイヤ」って感じでした。とっとと宿に向かいます。

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濃厚な源泉を存分に満喫します。飲泉してみると、ほのかな塩味。肌に優しい湯で、いつまでも、何度でも浸かりたくなる気持ちよさでした。

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晩メシついでにちょっとブラブラしてみましたが、想像していたよりも元気を感じる温泉街です。今回は寒くてムリでしたが、共同浴場も二か所。夏に来れば、浴衣で散歩がてらの湯めぐりも楽しめそうです。まずは豆もやしラーメンとサッポロ赤星を堪能したので、宿へと戻り、今度は温泉街の酒屋さんで手に入れた『上喜元 雄町50』と宿の湯を堪能します。今旅、すべての宿を晩メシなしプランにしたのは、ここから夜更けまでをのんびりするためでしたが、ホントにいい湯でしたから、初日からさっそくゆったりと楽しむことができました。

 

もちろん朝風呂も楽しんだ、開湯1200年の湯治場・小野川温泉。かまくらはちと残念でしたが、肘折よりも愛知県寄りで白布にもほど近く、山形・宮城・福島の近隣温泉地と組み合わせることで八幡平や八甲田周辺みたいな温泉ざんまいが叶いそう。【米沢八湯】巡りでもいいし。

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翌朝は宿でシンプルな朝食をいただいたら、ダンロップのWM03に頑張ってもらって、国道121号で県境を越えて福島県入り。まずは喜多方市へと向かいます。久しぶりの朝ラーです。

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半・泊食分離の東北温泉旅へ

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昨年暮れの信州松本旅以来となる、今年初めてのお泊り旅。ここ数年、〈年末に松本&年始は東北〉がルーティン化していますが、今回のテーマは「温泉をのんびり満喫できる時間を増やす旅」です。目指すのはもちろん、大好きな冬の東北。宿のプランは一泊二食ではなく朝食のみを選び、晩メシをセルフにすることで、

・夕食時間を気にすることなく、酒と風呂をより堪能できるのでは?

・他の客が夕食中に、風呂を独り占めできるのでは?

という目論見でした。果たしてその結末は、

〇 確かに、温泉は貸し切りで満喫できる

× でも、寂れた温泉街で飲食店やコンビニを期待するのは難しい

でした。事前にグーグルマップ上で温泉街の飲食店や個人コンビニ店をチェックしてはいたものの、いざでかけてみると営業していなかったり、営業時間が違ったりして、結局、持参していた酒のツマミとカップ麺に頼ることもありました。まぁ~、それでもちゃんと満足はするのですが、連泊となるとこれもなかなか厳しい(事前の買い出しにも頭を使う)ものがあります。やはり、草津温泉のように外メシが前提の温泉街か、以前にも行ったことがあって勝手のわかっている温泉街でないと、泊食分離のハードルは高いようです。昨年の秋に東北各地で楽しんだ街ブラシリーズの宿泊先は街のホテルでしたが、それでも酒田市のように「アレ?こんなにも無いの!?」ということもあるわけで、市街地から距離を置く温泉地であればなおさらですな。

とにもかくにも、東北旅2025の一回目。今回は、山形県の小野川温泉、福島県の中ノ沢温泉、そして同じく福島の東山温泉を巡りますが、出発前からしきりに全国各地で最強寒波の混乱が報じられていましたし、特に会津若松では、観測史上最多の積雪で絵ろうそく祭りも中止との発表が。祭りは去年観ておいてよかったけど、こんなときに行って大丈夫??(ダイジョウブヂャナカッタケドネ)


まずは、泊食分離&道中の昼メシの様子をまとめました。

 

【北陸自動車道 米山SA下り フードコート】

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ときどきお世話になる米山サービスエリア。正直、あまり期待せずにあじフライ定食を頼んでみたら、揚げたて&肉厚のとてもおいしいフライでした。

 

【小野川温泉 龍華食堂】

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ラーメン消費量日本一の山形県。今回は人気店ランキング入りをするようなラーメン店ではなく、小野川の温泉街にある『龍華食堂』で晩メシ。地元の伝統野菜である豆もやしと温泉で茹でたラジウム玉子が入った冬季限定、その名も【豆もやしラーメン】を。実はここのラーメン、温泉街につくられたかまくらの中で出前を頼めると聞いて楽しみにしていたのですが、実施は昼間帯のみとのことでガッカリ。でも、雪降る温泉街のラーメン屋で、おいしいサッポロ赤星とともに食べるラーメンも、けっこう楽しめました。ただ、豆もやし自体は特にウマいわけでもないですけどね。

 

【中山道ハムサンド】

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猪苗代のスーパーにて、ソフトフランスロールパンとレタスを買い出し。保冷バッグから取り出した『中山道ハム』の生ハムを挟み、持ってきたマヨネースやら胡椒やらの調味料セットで味付けしたらサブウェイふうに。これはかなりおいしい昼メシでした。やっぱ、『中山道ハム』の生ハムの味と食感が絶妙です。

 

【チーム・カップ麺】

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自宅でも旅先でも、あれば便利なカップ麺。東北・信越限定の『焼きそばBAGOOOON』はスープ付き。窓の外の吹雪を眺めながらの暖かい汁モノは、なおのことありがたかったです。

 

【猪苗代町 牛木精肉店】

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猪苗代の街中、住宅街の路地裏にひっそり(雪に覆われてなおさら)と佇む精肉店。予約の品を受け取るために、地元の人たちがひっきりなしにやってきます。【会津馬刺し ロース】や【ハムカツ】【唐揚げ】【コロッケ】を注文。しばし待ちますが、コロッケ類はその場で揚げてくれます。馬刺しは今までも宿や居酒屋などで食べる機会がありましたが、個人的にはここの馬刺しが一番おいしいと感じました。この晩メシは、どこか懐かしい味の揚げモノともども、あっという間のペロリ。ついつい酒もすすみます。

 

【喜多方ラーメン 喜一】

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いっとき、「夜中に愛知県を出発して喜多方に朝イチ到着、そのまま『喜一』で朝ラーしてから東北旅スタート!」というプランにハマッていましたが、最近、休業日だったり大混雑だったりでずっと食べ損ねていました。ちなみに、去年の秋に訪れたときには長蛇の列の『坂内食堂』も断念。個人的には「喜多方ラーメンなら喜一か坂内」派なので、久しぶりの『喜一』、食べる気満々でした。

今回は、山形の小野川温泉から国道121号を下ってきて、9時半ごろに到着。いつも満車の駐車場もなんなく停めることができ、長い順番待ちもないままいきなり着席。2時間前に宿でも朝食を食べていますが、まぁ~、『喜一』は別腹ッス。前回はたしかしょうゆにしましたので、今回は一番好きなSioラーメンを注文。値上がりしましたが、それでもまだ700円ですからその安さにはいつも感激します。チャーシューなしなら550円ですからねぇ~。アレ?もしかして、逆にメニューからチャーシューメン設定が消えた??

食べ終えて店を出る頃には、いつもどおり店内満席&駐車場も満車。なんともきわどかったですが、すんなりと食べられて大満足でした。

 

【会津若松 田季野】

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素朴な奥会津檜枝岐の曲げわっぱに盛られた、創業52年の老舗『田季野』の輪箱飯。2年前に『田事』で食べたことは憶えているのですが、ちょいちょい訪れているはずの『田季野』がいつ以来なのか、さっぱり思い出せません。今回は東山温泉での晩メシ用なので、移設復元された立派な旧陣屋構えのお店まで雪の中をトボトボ歩き、テイクアウトで【よくばり輪箱】を頼みました。『田季野』のテイクアウトは二度目。出来上がりを待つ間、お茶でもてなしていただけるのですが、今回は大雪の中を訪れたからか、帰りも足元を心配して表まで見送っていただき恐縮でした。店先にあった、かわいい赤べこの【AiZ's-RICE】、欲しいぃぃぃ~~~~!!!!

宿に到着後、風呂上がりにさっそく食べてみれば、以前に店内で食べたときの記憶と比べても、より一層おいしく感じます。時間経過で味が染みるのか、ごはんがいい具合に冷えるのか、なぜだかよくわからないのですが、とにかく激ウマでした。2,640円はなかなかの価格ではありますが、ついつい頼みがちな(しかも、より高額な)【かに輪箱】や【いくら輪箱】よりも、断然こちらのほうがオススメです。

 

【会津若松 イタリア料理パパカルド】

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除雪されぬまま凍結祭りで街中が大混乱となった会津若松市内で、いつもの買い物(柏屋さんやら地酒やら)を済ませつつ、昼メシはずっと気になっている七日町のバーガーショップへ。いつ行っても臨時休業で、そのたびに店の前で「うそぉ~!?」と仰け反ってきたわけですが、今回こそはと「三度目の正直」のつもりで。でも、「二度あることは三度ある」というオチなのでした。歩道にうず高く積もった雪を踏みしめ、頑張って歩いて向かったのに…。

途方に暮れてしまいましたが、ほど近い場所にある『パパカルド』がこの昼メシ難民を救ってくれました。私にはちとオシャレすぎましたけどね。

 

【北陸自動車道 黒崎PA上り モスバーガー】

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最終日。東北を離れて愛知へと帰る途中の北陸自動車道パーキングエリアで、七日町バーガーの代わりに『モスバーガー』しておきましたが、初めて頼んだポテトのLサイズ、ズッシリ重くてビビりました。このシンプルな【チリドッグ】ならぬ【チリバーガー】は限定品??

 

【いつもの買い出し品】

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『柏屋』では定番の三品を。道の駅『ばんだい』ではドリップコーヒーのセットを。そして、帰りの北陸自動車道SA・PAでは【ままどおる】を購入しました。買い出し日本酒は、いつもの『渡辺宗太商店』ではなく『田季野』にもほど近い『植木屋酒店』に立ち寄り、【笹正宗】と【宮泉】を。【春泥】は、鶴ヶ城近くのとある店でしか買えない一本です。

 

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