RICOH GRⅢx
[山形県]
過去にも何度か触れていますが、山形蔵王の麓、国道13号線沿いにある思い出の野営地(自動車販売店の洗車機の中)の横を通過するたびに、懐かしさがこみ上げます。で、そのすぐ近くにあってとても印象深いのがこの高層マンションでして。たまたま信号待ちで写真に収めることができました。これ、初めて見たときには(なんでいくらでも広い土地が確保できそうな場所でわざわざ高層マンションなの??)と不思議でしかたなくて、で、気になって調べてみたら、「冬の雪かきの重労働から解放される素晴らしさ」とかなんとかで、なるほどそういう事情もあるのねと。以来、旅の途上で国道13号線を走るたびに、遠方からでもよく見えるこのマンションが、私のランドマークとして定着している次第です。

ちなみに、山寺の参道で寒ざらし蕎麦のお口直しにと食べたずんだ味のソフトクリームも、これまた凶でした(クドイって)。
山寺を離れ、本日のお宿はいよいよデッシーおすすめの白布温泉です。白布といえば、33年前の初東北ツーリングでの最初の宿泊地でして、以前にも書きましたが、宿の軒先に停めてあったSRX600が夜露に濡れないようにと、畳んだ段ボールとかをかけてくれていた仲居さんを翌朝見てとても感動した、私の大切な大切な思い出の宿があるところなのですが、実は2021年の夏ツーリングで、その同じ宿に30年振りの宿泊を実現していたのです。で、(宿の御主人とも当時のことを色々語り合いたい)などと夢見てでかけたにもかかわらず、いざ泊ってみたらあのときの好印象はどこへやら、《思い出は思い出のままに》のフレーズが頭の中でリフレインしてしまいまして。そんなこんなで、あまりにもガッカリしすぎてここではまったく触れずにいたのですが、その当時、愛知県に帰ってから、デッシーには旅話のひとつとして事の顛末を聞かせていた(愚痴っていた)のです。
そしたら去年だったかに、ヤツが「職場の同期と、白布温泉に行ってきました!サイコーだったッス!」と、ドヤ顔で言うわけですよ。なんだって!!あの白布に!?しっ、しかも、サイコーだと????

そういう経緯で、この旅の最後を飾るにふさわしい(か、どうか半信半疑のまま)宿として、デッシーのオススメ(当然ですが私の思い出の宿とは別の宿です)を選んでみたわけです。白布、三度目の正直となるのか…と、ほんのりほのかに期待して。
ちなみにデッシー曰く、「食事はあまり期待しないでいただきたい。フツーです、フツー!!普通と言ってもイメージ的に上・中・下があると思うんスけど、なんならここはチューです」「でも、ここの温泉は素晴らしいッス。きっと師匠も感動します。マチガイナイ!!」とのことでした。デッシーも、なんだかんだと東北各地の温泉を巡っていますから、あながち間違ったことは言っていないと信じて、33年前の私の記憶の上書きを、是非ここで!!


いやはやホント、これは参りました。こんなにも大量の湯の花が湯舟に舞う温泉、初体験です。濁り湯ではないので、透明な温泉の底に沈殿している湯の花が、まるで御影石の模様のようにはっきりと見えているのですが、湯を掻き混ぜたとたん、大小さまざまな湯の花が踊る踊る!舞う舞う!

まるで雪が舞う万華鏡の中に裸で入っているかのような美しさでした。身体にまとわりつく湯の花を愛でながら、ずっと「スゲェー」「うわっ、スゲェ~!!」って叫んでいましたから、昼間の山寺での歩き疲れもすっかり吹き飛んで(凶は忘れないけど)、湯の花に興奮し過ぎた疲れがついには湯あたりのようにどっと襲ってくる始末。

以前、旅行サイトの口コミ欄でも話題になったじゃないですか。湯の花を見て「掃除してない!」とか「湯が汚かった」とか書きこむバカがいると。「ゴミが浮いていた」って口コミに至っては「ゴミは、湯の花も知らないおまえのほうだ」ってことでずいぶん笑い者になっていましたが、この温泉の湯の花なら、誰も汚れだとは思わないのではないでしょうか。それくらい美しいのです。

ちなみに食事は、デッシーの言っていたとおり極々普通でした。苦手な鯉が出てきたのがちょっとねぇ~…くらい。

帰宅後、改めて33年前のアルバムを開いてみました。まだウインドウズ95もなければ、スマホもデジカメも存在しない時代ですから、フィルムで撮った写真の枚数はほんのわずかで、もしかしたら2000年に発生した白布温泉火災以前の、茅葺屋根の原風景が一枚くらい撮れているのではと期待したのですが、片隅にも写っていませんでした。代わりに当時の領収書が挟んであったので開いてみたら、33年前の宿代が14,000円でした。あのときの私は、夕方近くの飛び込み独り客でしたからやや割高だったのかもしれませんが、それにしても今どきの温泉宿の価格と比較しても遜色ない価格なので驚きました。当時ならツーリングで1万円以上の宿に泊まるなどという贅沢は自主規制&絶対禁止でしたから、きっと初めての東北の温泉宿で気持ちが高揚していたのでしょう。白布温泉の思い出ぽろぽろ。上書き完了です。デッシーは近々、同期と秋田県の温泉巡り旅にでかけるらしいので、また新たなオススメ宿の現地調査結果を聞かせてくれることでしょう。
それにしても今回の旅、温泉についてちょっと思うところが。今までも自噴泉とか、源泉かけ流しとか、趣きのある建屋やロケーションとかには拘ってきましたが、今回のように湯そのものが美しいと感じたことは一度もなかったなと。そこで、湯そのものが強く印象に残った温泉ってどこだっけ?と、記憶を辿ってみると、≪長野 白骨温泉・泡の湯 内湯源泉≫、≪長野 田沢温泉・有乳湯≫、≪鹿児島 湯川内温泉・かじか荘≫、≪秋田 玉川温泉・大浴場源泉≫、≪宮城 中山平温泉・琢ひで≫≪青森 蔦温泉≫。あと身体にはちょっとキツいけど≪群馬 万座温泉≫くらい。思い出せるのは、たぶんこの7湯。今回の白布の湯が加わっても8湯ですね。う~~~ん…「いい湯だなっ♪」って、ホントはどういうことを言うのでしょう??
帰宅してから、20年ほど前に読んだ『温泉教授・松田忠徳の新日本百名湯』を本棚から取り出して目を通してみることに。どんな温泉が紹介されていたのかを改めて見直したかったのですが、そんなことよりも、《まえがき》に書かれた言葉に心を奪われてしまいました。ちょっと長いですけど、ここに紹介しておきます。
【湯浴みの原点は湯治 ~こころの湯浴みを楽しむ~】
私の住む札幌市の郊外に「豊平峡温泉」という日帰り温泉施設が一軒宿風に立っている。190万都市には場違いと思えるバラック風の質素な外観である。ところがここの経営者は温泉の生命である湯質にとことんこだわっている。"源泉100%かけ流し"にもかかわらず、内風呂や北海道的スケールの大露天風呂の温度管理が行き届いていて、一時間でも二時間でもゆっくり浸かっていられるのだ。
わたしは豊平峡を大雪山中の秘湯に匹敵する一級の湯質と評価しているのだが、何よりも嬉しいのは入浴客の60%を占める若い男女がこのことを直感的に理解しているらしいことである。サウナもバイブラバスも無く、施設的には公共温泉に比べれば月とスッポン程の差があり、料金も二倍は髙い。ところがここの入浴客はじつに贅沢な風呂の入り方を楽しんでいる。それは頭や体を洗うことよりも心を洗うことを優先させているふしがあるからだ。
わたしたちはなぜ、温泉に行くのか。体を洗うだけなら家庭風呂で十分なはずだ。なのにわたしたちははるばる北海道や九州の温泉に行き、洗い場のシャワーに直行している。いつから日本人はそんなに貧しくなったのだろうか。飛行機代や新幹線代をかけて2、3万円もの宿代を払いながら、家にいる時と同じように頭を洗い体を流している。ふんだんに湯が使えることに喜びを感じているのだろうか。非日常を求めて旅に出たのにわたしたちの頭そのものが日常のままだから、風呂の入り方すら切り替えられないでいる。環境や相手にばかり非日常性を求めている。
「温泉の原点は湯治である」と心ある経営者はいう。湯質や周囲の環境を大事にしたいということだろう。この言葉の意味を今、入浴者こそが考える必要がありそうだ。「温泉の原点は湯治だ」。ならばわたしたちは湯治の流儀を思い出したらいい。湯治場で頭や体を洗い流しているせわしい構図は思い浮かばないはずだ。ゆったり湯に浸かったり、洗い場の床に横になったり、会話を楽しんだり…。そこには日常にはない贅沢な時間が漂っているはずだ。手始めに温泉に行って洗わないことの贅沢さを堪能してほしい。心身を清浄にすることが豊かさにつながることを、わたしたちの祖先は古来知ってきたはずだ。豊平峡のような一級の温泉とやすらぎの雰囲気が、若い人たちにシャワーに向かうことを忘れさせてしまった。
露天風呂にまでシャワーを求めないでほしい。わたしたちの心の貧しさが、余裕の無さが、これまでどれだけの宿をつまらなくしてきたか思い出してほしい。"温泉力"を秘めた本物の温泉は、世代を超えて日本人の温泉DNAのようなものをよみがえらせてくれるはずだ。さあ、"こころの湯浴み"にでかけよう。